@渡米年月日
A子供の年齢
*はDS児
B現在の近況


メンバ−紹介
塚本ファミリ−
@1995年〜2001年7月帰国
A長男 10歳 *長女 7歳



〜帰国までの状況〜

他のタウンにある養護学校に8:30〜14:15までバス通学。
週2回理学療法、作業療法、言語療法を30分ずつ受けていた。(全て英語での指導。)
また、日本人による音楽療法を学校とは別に週1回30分受けていた。
年長の健常児のプレイグル−プにも参加していた。



帰国して3ヶ月の第一報、近況報告


近況をお知らせします。
7月11日に成田に着いた私たちは、あまりの蒸し暑さに まいってしまいました。この日は関東が梅雨明け宣言をしたその日で、 翌日から、平均38度という暑さの中、秋葉原に、冷蔵庫、ク−ラ−、洗濯機と、電 気製品を買いに出かけたり、家の掃除と、すぐに忙しい日々が始まりました。 今年は、異常気象だったそうで、こんな夏に帰ってくるんじゃなかったって後悔しました。 人から聞いた話なんだけど、人間の汗腺の数は、3才まで育った環境で、 決まってくるそうで。寒い所で育った人は、汗腺の数が少ないそうです。 長男は、三才まで、日本で育っているけど、長女は、ほとんど、アメリカで育っているので、 ひょっとしたら汗腺の数が少ないかもしれないと心配しました。 汗腺の少ない人が、暑いところに来ると、上手く汗を出すことが出来ずに、熱を出したり、 吐いたりするので、気をつけた方がいいそうです。そんな話しを聞いていたので、 夏中、昼間は絶対に外に出しませんでした。ク−ラ−もバンバン使ったので、電気代が ものすごかったです。

  長男は、終業式の三日前に、学校に登校させ、夏休みには、学校のプ−ルに参加 させることが出来ました。3才の頃遊んだお友達と、すぐに仲良くなって、夕方になると 毎日のように、外で、今流行のベイブレ−ドで、遊んでいます。外で遊んでいると、 いろいろな学年の近所の子が集まって一緒に遊び出します。
アメリカでは、近所には遊べる子が少なかったし、あらかじめ電話をして、約束して、 車で連れていったりと、親も面倒でしたが、それが無くなって、私も楽だし、長男も、毎日遊び相手が いての生活が気に入っているようです。自転車が届いてからは、遠出して、4年生にして、 「はじめてのおつかい」を楽しんでいます。

  長女は、長男と同じ学校の、特殊学級に入れてもらいました。
7月、長男が編入した日に、一緒に、特殊学級を見学させてもらいました。
この学校には、2クラスの特殊学級があり、一クラスは、知的障害児。 もう一クラスは、情緒障害児(自閉症)のクラスです。
長女は、知的障害児のクラスの方に入りました。
このクラスは、長女の他に、 ダウン症の子が二人(4年男子、6年女子)と、病名はわかりませんが、まだしゃべれないけれど、 かなりいろいろわかっていて、歩くのもゆっくりの4年生の女の子がひとりいて、担任の先生がひとりと 介助の先生がひとりいます。
私たちが見学したとき、広い教室に、3人の生徒と、2人の先生が、 それはそれは、静かに、ゆったりと、落ち着いて、それぞれのペ−スで、国語を勉強していて、 皆さんも御存知の通り、落ち着きの無い長女が、こんな雰囲気の中、学校生活ができればなあと思ったのが 第一印象でした。
その日のうちに、養護学校にも見学に行きました。
そこは、小学校から中学までの、 大きな養護学校で、私たちは、たまたま、一年生と二年生の合同のリズム体操の時間を見学しました。 音楽はかかっているし、体操をしているので、長女は、大喜びで、一緒に体操を始め、 その場から、出たくない様子でした。私たちは、勉強の様子等も見たかったのですが、2日後には、 終業式という時間的にせっぱ詰まった時だったので、通常の授業は見れませんでした。
だから、これだけでは、本当にどっちが良いのか判断しにくく、でも、長女はきっとこっちが好きだろうなと 思いました。
7人の生徒ということで、かなり、がちゃがちゃした様子は、感じました。 それで、1人の先生と一人の介助の先生と言っていて、但し、そこで、長女がはい ればもう一人介助の先生が付くということでした。
つまり、4人の生徒に一人の介助が 付くらしいです。
それで、一旦、養護に決めてしまうと、殆ど、特殊学級に変える ことは出来ない(その逆は簡単)と、いろいろな人から聞いていたし、
(教育委員会の人は、 そんなこともないのですがとおっしゃってましたが)
主人の強い希望と、教育委員会のかたが、 以前特殊学級の先生をしておられた方で、特に今の担任の先生を、強くかっていらして、 また、I先生とおっしゃるのですが、I先生に任せてみたら如何ですかと勧めて下さったのを きっかけに、特殊学級に決めました。
8月のはじめに、それを決めたんだけど、夏の間、何にも出来ない長女を、 特殊学級にいれていいのか?
長女のためになるのか?ってずっと考えていました。
先日、障害者手帳の発行の申請に行ったら、やっぱり、重度だったのです。判ってはいたけどね。
こんな重度の子は、養護学校の方が良いのではないかとか、特殊学級に、こんな手のか かる子は、迷惑じゃないかなど、考えちゃってました。まあ、特殊学級で、伸びなければ、養護に変えればいいやって、 9/1からは、任せてみようという気持ちで、学校が始まり、三ヶ月が過ぎました。

一ヶ月を過ぎたころ、自分がいかに、あまやかしていたか、いかに、私が、長女に何も教えていなかったかと、反省しました。
長女にとっては、毎日、はじめてのことばかりで、靴箱に自分の靴を入れることから始まり、 気をつけの姿勢や、おはようの挨拶など、他にもいっぱいあります。それから笑ってしまったのが、掃除。 あの子が、6年生のお姉ちゃんと一緒に、ぞうきん掛けをしているのよね。影で見ていたんだけど、本当に楽しそうにしていて、 家でだってやったこと、やらせたこともないのに、給食も、良く食べてくるし、あいうえおは、まだ書けないけれど、生活の面で、 すごく刺激になっているようです。日本は、(特殊学級は)何でもやらせるなあというのがこの数ヶ月の印象です。

成田に着いたときに、どうしようと思ったのが、長女が、長い距離を歩き慣れていなくて、どこにでも、座り込んでしまうことです。 学校も徒歩だし、これは、困ったと思いました。それで、夏の間、殆ど毎日、学校への道を、歩く練習をしました。 たったの7−8分の距離なのに、30分から、40分かかります。途中座り込むこと5−6回。 でも、日本に帰ってからは、抱っこは、絶対しませんでした。おどろいたのは、 学校が始まってからは、殆ど座り込むこともなく、 ゆっくりではありますが、20分ぐらいで、歩けるようになりました。他の生徒も、歩いているからでしょうか? この問題は、殆ど悩むことなく解決しつつあります。

 それから、近所の公文の硬筆と毛筆の先生が、長女に、字を教えてくれることになり、その先生、頻繁に、長女に手紙を書いてくれて、 なんか、すごくうれしくてね。とても熱心で、この話しは、近所の友達から伝わった話しで、先生の方から、是非長女に習いに来て欲しい ということで、長女は、この2年間で、60%ぐらい、平仮名は、読めるようになったんだけど、書くことに興味がなくて、私と一緒だと、鉛筆も持たず、 どうしたもんかと悩んでいました。だから、今は、週2回30分ずつ、先生のお宅に、勉強(?)にいっていますが、今は、机に向かうことからの勉強です。

     アメリカにいるとね。移動は、全て車で、長女を、外に出すということが少なくて、言い方を変えれば、プライバシ−が守られているとも言えるんだけど、 そんな意味で、わたしにとっては、ラクチンでした。
でも、日本では、家はせまいし、庭もないし、公園にも行きたいだろうし、遠くに出かけるには、電車だしと、 ずっと、アメリカよりも長女を外の目にさらすことが、多くなってちょっと辛いだろうなあと思っていました。小さいころは、それほどでもなかったけれど、 学齢期になっての、長女の様子は、子供の目からみても、異様に見えるし、大人の人は、見ないふりしている人もいるけど、子供は残酷で、目が点になっていることもあってね。 色々躊躇したりもしているんだけど、前に、障害を持つ子を育てたお母さんの、
「子供は、地域で育てていかなくちゃいけない」という言葉が何となく私の頭の隅にあってか、 これは、つまり、 [身近な人々の協力を得て育てなさい]ということなんだけど、長女を散歩に連れ出すと、近所の知らない人に、声をかけて、長女を紹介している自分に 気付いたりします。
出来るだけ沢山の人に、長女を知ってもらって、やっぱり、何かあったら、近所の人に助けてもらうんだという気持ちが私をそうさせているのかと思います。 だんだんと、私も強くなってきています。

  学校でも、普通学級の子供たちに、「Aちゃん、おいで」なんて言って、一緒に下校してくれたり、休み時間も、6年生の子達が、遊んでくれるみたいで、健常児達と遊ぶなんて事は、 皆無だったことを考えると、養護学校にせずに、特殊学級にしてよかったかもしれないと今は、とても喜んでいます。  

  ところで、9月には、運動会がありました。
二人の運動会は、とても、感動的でした。
長男は、ソ−ラン節を上手に踊り、太っているのですごく力強く、カッコ良く見えました。
長女は、それこそ、何にもできないんだけど、介助の先生がずっと付いていてくれて、一年生の、全ての種目に、参加しました。
ダンスは、最後のポ−ズだけだったし、 50m走は、途中で止まってしまったり、校長先生の話しの時は、列の外にでてしまったりと、介助の先生の御苦労が手に取るようにわかり、頭が下がる思いでした。
長女のクラスのダウン症の6年生の子は、五年生の組体操に参加したんだけど、それはそれは、感動的で、笛の合図で、場所や、ポ−ズを決める難しい種目なのに、ちゃんと順番を覚えていて、 ちゃんとこなしていました。まわりの子も、彼女を助けているし、なんだか、すごくうれしくなっちゃって、感動していました。
長女もいつかあんなふうに、指示に従えればいいなと、ついつい、 期待してしまいます。それと、介助をつけてでも、何とか参加させてみる学校側の配慮と、それを助ける、まわりの子供たちにも、感動して、学校だけでなく学校の外の社会も、 こうであればいいなと思いました。
 まあ、これから何があるかわからないんだけど、出来るだけ長く、この学校にいられたらなあと思っています。

  アメリカを離れるのがいやだった私は、多分しばらくは、楽しかったアメリカ生活を思って、ため息と、涙で、暮らすのかと思っていましたが、そんなことはなくて、思いもかけず日本の生活、気に入っています。
自分の国に帰るってこんなに素晴らしいことだったんだって思っています。何か、地に足がついたって感じで、食べ物もおいしいし、全部、日本語だし、それから、日本人の賢さにも、気付いたかな。 狭いところを上手く利用する商品とか、そんなんで、買い物も結構楽しんでいます。
ああ、 それから、お豆腐がおいしくて、おどろいちゃったんだけど、今年は、沢山、冷ややっこを食べました。   

  そんなわけで、私たち、元気にしています。
(2001年11月4日記)